■目次
▶
4.最終話の後、乙坂有宇は死ぬ!? ▶
4-1.智代アフターとは ▶
4-2.智代アフターを踏まえてCharlotteのラストを考える ▶
中締め 総括③へ4. 最終話の後、乙坂有宇は死ぬ!?
扇情的な見出しで申し訳ありません。
しかし、今の私にとっては冗談でも何でもなく目下最大の関心事でもあります。
何故こう考えるに至ったか、述べていきたいと思います。
そして、この扇情的な見出しについての私の結論は最後に述べさせて頂きたいと思います。
●「Charlotte」のラストシーン全ての能力を「略奪」し終えた乙坂有宇は、愛する友利奈緒の元に帰ってきました。
しかし、全ての能力を「略奪」した副作用で有宇は記憶を失っていました。
愛する奈緒の事を有宇は覚えていません。
奈緒への想いも、奈緒との思い出の全てを有宇は失ってしまいました。
しかし、ボロボロになった単語帳を見てこう言います。
「これは僕にとってお守りみたいなものだったんだ。ずっとこれだけは手放せないでいた」誰がくれた物か記憶にありません。
単語帳をくれた人が自分にとってどれだけ大事な人だったかも記憶にはありません、
それでも、例え記憶を失っても、有宇は奈緒の事を愛していました。
誰を愛していたのか、忘れてしまっていても、愛していたのです。
そしてラストシーン。
車椅子の有宇の元に、友人達が、妹が、そしてカメラを持った奈緒がいます。
奈緒は言います。
「ずっと撮りたくないものばかり撮ってきたビデオカメラですが、
これからはみんなを撮り続けます
幸せな日常をたっくさん撮っていきます
なので幸せな思い出をたっくさん残していきましょう」奈緒の言葉を受け、少し困った表情を浮かべながらも有宇は返答します。
「なんて言えばいいのかな…」
「これからが楽しみだ」そして、奈緒は言います。
「これからは楽しいことだらけの人生にしていきましょう!」最後に満面の笑みを浮かべる奈緒。
・
・
これが「
Charlotte」の最終話でした。
これから楽しい事がいっぱい待っている。
とても希望に満ちた終わり方です。
しかし、ごく一部ですが、
頭のおかしい(断言)年季の入った麻枝准のファンはこの展開に動揺を隠せませんでした。
「つーか
智アフじゃねーか! 麻枝ああああああああああああああああry」
「あのクソ野郎
智アフとまったく同じじゃねーかいい加減にしろよ!!!!!!1111」
「麻枝あああああああああry
智代アフターじゃねぇかあ嗚呼あry」
とてもこの結末に喜んでいるとは言い難い反応です。
(厄介な事に彼らはこれでも物凄く、この上なく喜んでいたりします。わかりづらいですが)
客観的に彼らが何を言ってるのかさっぱりわかりません。
「
Charlotte」の最終話を視聴していた彼らは何故、「
智代アフター」という物を連想したのでしょう。
なお、彼らの唱える「
智代アフター」とは麻枝准がシナリオを執筆した、
2005年に発売されたサウンドノベルゲームにタイトルです。
正式なタイトルは「
智代アフター ~It's a Wonderful Life~」。
以下「
智代アフター」で統一します。
彼ら、と言いましたが、
私自身も「
Charlotte」の最終話を視聴して
「
智代アフター」を想起せざるをえなかったと、
総括①で記述致しました。
というか彼ら、の内の1人は私なのですが()
では、私は何故、「
智代アフター」を想起したのか。
そもそも「
智代アフター」とは、どのような作品なのでしょうか。
「
Charlotte」の最終話を語るため、「
智代アフター」について述べていきます。
4-1. 智代アフターとは
「智代アフター」は下記のような作品です。
以下、wikipediaより引用します。
・
・
『CLANNAD』の外伝的な位置づけの作品であり、
同作品に登場するヒロインの1人である坂上智代を主役とした作品である。
元は企画・シナリオの麻枝准が『CLANNAD』発売後に与えられた自由時間において
私的に作っていたものであるため麻枝の個人色が強く、
麻枝自身も最もストレートに書きたいものをぶつけたと語っており、
魂を削って苦しみ抜いて、自分の納得のゆくエンディングを追い求めた作品・
・
上記のように、「
麻枝の個人色が強く、麻枝自身も最もストレートに書きたいものをぶつけた」作品ですので、
麻枝准のファンを自認する私にとっては、
「
智代アフター」こそが麻枝准の最高傑作であると思っています。
もっとも、麻枝准自身は発売以降、一度もこの作品を最高傑作であると公言した事はないと明記致します。
では、(私にとっては)麻枝准の最高傑作「
智代アフター」とはどのような作品なのでしょう。
ネタバレ有りで記述していきます。
① 2人の主人公この作品には2人の主人公がいます。
1人は
岡崎朋也。
前作「
CLANNAD」の主人公でもありました。
「
CLANNAD」の朋也は無気力で生活態度も悪い怠惰な学生で、
進学校でもあった学内では悪友、
春原陽平と共に不良生徒として有名な存在でした。
色々あって智代と恋仲になりますが、
大きな目標のため、生徒会長になった智代の足を自分が引っ張る事を恐れ、自から身を引く形で一旦別れます。
その後は、智代の事を忘れるように卒業まで怠惰な学生生活を送ります。
しかし、智代への愛は最後まで消えず、智代が目標を達成した後、再び彼女と結ばれます。
「
智代アフター」では既に学校を卒業し、廃品回収屋に就職し、社会人になっています。
学生時代の自身の不甲斐なさを悔み、今度は智代を支えるに足る男になろうと日々、奮闘しています。
もう1人の主人公が
坂上智代。
主人公でありヒロイン。朋也より1歳年少のため未だ学生です。
才色兼備を絵に描いたような存在で、大抵の事を彼女は成し遂げる事ができます。
「
CLANNAD」での彼女はどんな困難にあっても、前向きであり、
そして打開する事のできる強いヒロインでした。
家庭環境が複雑なため荒んでいた時期もありますが、それも解決。
愛する朋也と幸せな日々を送っています。
岡崎朋也視点の「
CLANNAD」では強く、優しく、献身的という完璧なヒロインとして描かれていました。
「
智代アフター」は、この智代の回想という形式で展開されます。
② ひとりで僕らは歩けるか続いて、「
智代アフター」のストーリーの前半部分をまとめます。
(鷹文と河南子は影も形も出ない程度に)
岡崎朋也と坂上智代は半同棲のような関係で幸せな日々を送っていました。
しかし、穏やかな楽しい日々を過ごしていた、ある日、智代の父の隠し子であり、
実の母親から育児放棄されていた異母妹の幼女『
とも』と出会います。
『とも』と朋也と智代の3人は疑似家族のような関係を築き、
智代はまるで娘のように『とも』を溺愛しますが、
幼い『とも』自身は、やはり実の母親を恋い慕います。
朋也は『とも』の様子を見て、実の母親と暮すべきであるとし、
智代の意に反し、『とも』が母親と再び暮らせるようになるよう奮闘します。
『とも』を溺愛するあまり、朋也に反発する智代ですが、
ひたむきに『とも』のため、奮闘する朋也に心打たれ、『とも』への愛を抑えて朋也に協力します。
『とも』のために奮闘する過程で、朋也は頭を負傷します。
動けなくなるほどの負傷ではなかったため、朋也は負傷を意に返さず『とも』のために奮闘します。
かつて怠惰で弱かった学生時代の朋也はもういません。
智代のために立派になろうとする、1人の男がいました。
彼らの奮闘の甲斐もあり、『とも』は再び実母と暮す事ができるようになります。
余談ですが、『とも』の実母は余命が長くはありません。
智代が朋也に反発したのも、彼女が可愛い義母妹であったという以上に、
彼女の境遇に同情したからという事情があります。
実母と暮すため、『とも』は智代と別れます。
そして、別れ際に智代は『とも』に以下のように言います。
・
・
「とも…
これから、どんなことがあっても…
どんなつらいことがあっても…
私はのりこえてみせるから…
だからともも…
がんばるんだぞ…」
「どっちが強くなれるか、競争だな…
まけないぞ…」
「大好きなとも…」
「元気で…」
「いつまでも元気で…」
「さようなら」
「とも」 ・
・
こうして、『とも』と朋也と智代、3人の「とも」の擬似家族関係は終わります。
「
CLANNAD」では強く、完璧なヒロインとして描かれていた智代が、
「
智代アフター」では一転。
『とも』を愛するあまり、弱く、情けない、醜態を見せます。
朋也への愛は不変ですが、『とも』を想うあまり、朋也に対しても攻撃的な言動をとることさえありました。
愛は人を強くすると同時に弱くもします。
完璧なヒロイン坂上智代が愛のために弱くなる様は、
作品内に無敵のヒーローを許さない麻枝准らしい展開です。
上述しましたが、「
智代アフター」のストーリーはここまでが前半部分。
ここからが後半部分。この作品の本筋へと突入します。
③ ひとりになっても歩くんだ ある日、朋也が目を覚ますと、そこは見知らぬ天井、病院でした。
自分の名前も満足に思い出せない朋也に、傍に居た女性が名前を教えてくれます。
彼女の名前は坂上智代。朋也の恋人だと言います。
朋也は『とも』のために奮闘していた際に頭を打った衝撃で中学生以降の記憶が喪失していました。
朋也が失った記憶を取り戻すため、智代は色々と尽くしてくれます。
通っていたという高校や住んでいたアパート、中学を卒業した後の朋也の思い出の地を次々と訪れますが、
朋也の記憶は一向に戻る気配を見せません。
次第に朋也は頭痛を訴えるようになります。
そして、ついに真実が智代の口から語られます。
何と朋也が事故にあって、記憶を失ってからすでに3年が経過しているのです。
脳のダメージから、朋也の記憶は一週間しか持たず、一週間経過するとまた全てを忘れてしまう。
智代はいつか記憶が戻ると信じて一週間経つ度に「繰り返し」「繰り返し」自己紹介を行い
その都度、朋也の記憶が戻るよう、やり直してきたのです。
智代はそれを3年間繰り返してきました。
その間には、かつての友人知人達にも何度も助力を請うてきたといいます。
そして、朋也の悪友、春原陽平も朋也のために来てくれたといいます。
この症状は、手術を受ければ治る可能性があるといいます。
しかし、成功率は高くなく、失敗すれば命を失う危険もあるため、手術を行う事をためらってきたのです。
愛する人が死ぬリスクを背負うような手術に踏み切る事が、智代にはどうしてもできませんでした。
朋也は困惑します。
当然です。智代の語る出来事は記憶を失った朋也にとっては絵空事なのですから。
智代の記憶は朋也にはありません。
彼女と重ねてきた数々の思い出がありません。
しかし、それでも智代は献身的に、献身的に朋也に尽くしてくれたという事はわかります。
朋也は彼女に伝えます。
「好きだ。結婚しよう」と。
これほど自分に献身的に尽くしてくれる女性の愛を朋也は信じました。
そして記憶を失っても彼女を愛している自分を信じる事ができたのです。
そして朋也のこの言葉は智代が待ち望んでいた言葉でもありました。
新しい未来に進むため、ついに手術に挑む決心を2人はします。
朋也はまた記憶を失います。
自分の名前も満足に思い出せない朋也に、傍に居た女性が名前を教えてくれ、自己紹介をします。
「おまえの名は岡崎朋也。私の名は岡崎智代」二人の指には結婚指輪がありました。
そして朋也の手術は、半分成功し、半分失敗します。
朋也の記憶は取り戻す事ができました。しかし、後遺症が残ってしまったのです。
そして、その後遺症のため、岡崎朋也は還らぬ人となりました。
そして、ラスト。智代がディスプレイ越しの多くの人に語りかけます。
智代はネット上で悩みをかかえる多くの人の相談に乗っていたのです。
以下、「
智代アフター」本編より超長文です。
・
・
これからの先に、どんなことが待とうとも、後悔せずにいられた。
その自信がある。
私たちは、大切なものを、見つけられたから
最後に、2人で見た風景が、いまも忘れられない。
それは、どこまでも続く、夕焼け空だった。
2人で、美しむように見ていた。
世界がこんなにも美しいことに、いままで、気づきもしなかった。
何も知らなかった。
おさない日々にはもちろん、苦しみの真っ最中に会った時にも
その色しか知らなかったら、ずっと気づかないままでいた。
そんな美しさだった。
彼はいつの間にか、目を閉じていた。
その顔はまるで、走り終えたランナーのように、すがすがしいものだった。
その時、彼の口が動いて、何かを言った。
小さな声だった。
寝言かもしれなかった。
そのまま彼は、長い眠りについたからだ。
それでも、その言葉を振り返るたび、私は思う。
彼もそのとき、私と同じ場所にたどり着けたんだと。
そう思うことができた。
私はもう2度と、絶望はしない。
逆境を乗り越え、永遠の愛を信じて、
ひたすら信じて、2人で生きた日々があるから。
それは私だけの宝物だ。
かけがえのない宝物だ。
苦しくて、胸が張り裂けそうになったこともあった。
泣き叫んだこともあった。
そんな日々があったからこそ、いま、すべてが輝いて見える。
彼と出会ったことも、彼と過ごした日々も、絶望した日も、1人で泣き続けた日も
これから歩んでいく道も、過去も、未来も
すべてがあの日、見た、夕焼け空と同じように輝いて見えた。
私はそんな人生の輝きを、見つけられたから。
自分と同じように、悩んでいる人たちを、今度は助けたいと思った。
そうして歩き続けたら、それがいつか自分の生きる道になっていた。
だから、それを見つけられた人は、今度は他の人たちが見つける手助けをしてあげてほしい。
その時は、あなたは、もう悩むことはないはずだ。
あなたは、あなたの生きる意味を、もう持っているはずだから。
あなたの宝物が、どのようなものか、それをどうすれば手に入るのか、それは誰にもわからない。
でも、いつかは、必ず、見つかる。
だから、いまは、どれだけ苦しくても、つらくても、悲しくても、怒っても、笑っても
泣いても、泣き叫んでも、それでも進んでほしい。
あなたの宝物を見つける、その日まで。
もし、この画面の向こうのあなたが、その道の途中で、1人きりになったとしても、大丈夫だ。
あなたは、1人きりじゃない。
私が、ここにいる。
いつまでも、共にいくから、だから安心してほしい。
それが私が、彼と共に歩んで、一緒に見つけたものだから。・
・
これが「
智代アフター」の結末でした。
記憶喪失の男、彼を献身的に支える女。
女の記憶はなくても、彼女を愛していた事を覚えてはいなくても
男は彼女を愛していた事を信じる事ができました。
そして、女は彼と出会ったことで、
「
人生の宝物」を手に入れることができたのです。
「
Charlotte」の結末から
もう10年も前の作品になりますが、
「
智代アフター」を想起せずにはいられませんでした。
④ 人生の宝物を探しに行こう 「
麻枝の個人色が強く、麻枝自身も最もストレートに書きたいものをぶつけた」作品ですから、
「
智代アフター」は麻枝准のテーマが最も色濃く反映された作品です。
麻枝准は智代アフターの副題を「
人生の宝物を探しに行こう」としました。
「
人生の宝物を探しに行こう」とはどういう事か。
そもそも、麻枝准の言う「
人生の宝物」とは何でしょう。
受験で志望校に合格した。
希望していた企業に就職することができた。
愛する人と出会い、結婚し、素晴らしい思い出を築く事ができた。
子どもが産まれ、その成長を見守る事ができた。
上記のような成功体験、これは勿論「
人生の宝物」でしょう。
言うまでもありません。
しかし、人生は成功体験だけでしょうか?
「
智代アフター」で智代は言います。
・
・
逆境を乗り越え、永遠の愛を信じて、
ひたすら信じて、2人で生きた日々があるから。
それは私だけの宝物だ。
かけがえのない宝物だ。
苦しくて、胸が張り裂けそうになったこともあった。
泣き叫んだこともあった。
そんな日々があったからこそ、いま、すべてが輝いて見える。
彼と出会ったことも、彼と過ごした日々も、絶望した日も、1人で泣き続けた日も
これから歩んでいく道も、過去も、未来も
すべてがあの日、見た、夕焼け空と同じように輝いて見えた。・
・
そう、成功体験だけが「
人生の宝物」ではないのです。
「人生の宝物」とは、楽しい事も悲しい事も全て含めて
頑張って生きた日々そのものであると、
麻枝准は「
智代アフター」で唱えたのです。
つまり、
「人生の宝物を探しに行こう」という事は、言い換えれば、
『どんな困難な事があっても、全力で頑張って生きていこう』という事です。
全力で頑張った結果は、それがどれほど辛い出来事であっても、
無駄ではない。無駄なんかではない。
人生において宝物であると麻枝准は「智代アフター」で伝えたかったのです。
麻枝の伝えたい事が最も凝縮された作品であるだけに、
「
智代アフター」は麻枝准が伝えたい事がわかりやすい作品です。
しかし、私自身も「
智代アフター」を体験するまで理解できていなかったのですが、
振り返れば、麻枝准の作品のテーマは全て、
『どんな困難な事があっても、全力で頑張って生きていこう』という事でした。
⑤ 人を死なせる事で泣かせようとするライター というレッテル 麻枝准の作品で人はよく死にます。
「
Charlotte」でも歩未や熊耳が作中、命を落としました。
登場人物にとって大切な人がよく死ぬせいで、
麻枝准を「
人を死なせる事で泣かせようとするライター」と評する人もいます(それも結構多く)
しかし、それは誤解なのです。
あるいは勘違いと言うべきか。
麻枝准は「人を死なせる事で泣かせよう」としているのではありません。
『どんな困難な事があっても、全力で頑張って生きていこう』というテーマを伝えるため、人を死なすのです。出会いがあれば、別れは必ず訪れます。
仲の良い友人と遊んだ後、最後は必ず別れるように、
人は生まれれば必ず死にます。
どれほど愛している人であっても、人間が生き物である以上、いつかは必ず別れなくてはなりません。
死別。
親しい人、愛している人であればあるほど、その別れの辛さは耐え難い物になるでしょう。
最愛の人の死、それは筆舌に尽くし難い困難でしょう。
人に振りかかる困難の中で、もっとも辛い物であると言っても、過言ではありません。
そして、麻枝准の作品のテーマが
『どんな困難な事があっても、全力で頑張って生きていこう』である以上、
人生最大の困難である愛するの人の死別は避けて通れません。
麻枝准の描きたい、描くテーマが困難に挑む事である以上、
人の死を避けて通る事ができないのです。
麻枝准が人の死以上に辛い事を見出せない限り、今後も彼の作品では人は死ぬのでしょう。
4-2. 智代アフターを踏まえてCharlotteのラストを考える
さて、この記事は「
Charlotte」の記事です(笑)
「
智代アフター」について長く書きすぎだろ、と私も思います。
が、長々と述べたように、「
智代アフター」を知っている以上、
「
Charlotte」のラストは「
智代アフター」を想起せずにはいられませんでした。
① 智代と奈緒の共通点この2人はかなり似ています。
強い、優しい、献身的、孤独、生徒会長、髪の毛の色特徴だけ並べてもかなりの共通点があります。
しかし、個人的にもっとも共通点を感じる部分は別です。
私が考える彼女達の最大の共通点は、
他人からしたら非常に些細な事で男に好意を抱いた事、でしょうか。
智代が朋也を好きになったきっかけは些細な事です。
他人からしたら特別なイベントなど何一つない。
ただ、一緒にいた。そしてお互いの事を知るようになった。それだけです。
奈緒はどうでしょう。
奈緒が有宇を好きになったきっかけというのは明示されていないので、
想像あるいは妄想になりますが、
5話と10話が契機だったのではないでしょうか。
5話で奈緒は有宇に「
ZHIEND」というバンドが好きな事を語ります。
そして、「
ZHIEND」の曲を聴いた有宇は、
自分の好きなバンドを(奈緒にとって)適切に賞賛してくれました。
兄一希は物言わぬ廃人のようになり、
学園生活で絶え間ない悪意や暴力に晒されている奈緒にとって、
ほんの些細な事でも他者から共感を得る事がどれほど貴重な体験だったか。
それは他人にはわかりません。
乙坂有宇にもわかりません。
しかし、とても貴重な、幸せな時間だったのです。
そして10話。
妹、歩未を救うため「タイムリープ」能力を駆使し、過去に戻った有宇。
有宇は奈緒に自分が「タイムリープ」を使用して歩未を救いに未来から来た事、
歩未を失った未来で自分が絶望していた事、そしてそんな自分を救ってくれたのが奈緒である事を告げ、
「ありがとう」感謝の気持ちを伝えます。
繰り返しますが、
兄一希は物言わぬ廃人のようになり、
学園生活で絶え間ない悪意や暴力に晒されている奈緒にとって、
人から感謝される事はどれほど貴重な体験だったでしょう。
感謝をされる、第三者からすれば些細にも程がある出来事かもしれません。
しかし、真実はわかりかねるにせよ、
奈緒にとっては貴重な、本当に貴重な体験です。
他者からすれば取るに足らない出来事が、
人を好きになるきっかけとなる事はありえるのではないでしょうか。
特別なイベントなど何もなくても、
人を好きになる事はできるのではないでしょうか。
(8話で一希の容態を回復させるというイベントがありましたが、最終話の時点で奈緒の記憶にはありません)
② 朋也と有宇の共通点「
智代アフター」のラスト間際の朋也と、
「
Charlotte」13話で日本に戻ってきた有宇は置かれた境遇から状況までよく似ています。
・記憶喪失
・献身的に尽くしてくれる愛する人
・愛する人の記憶はないが、愛を信じられる象徴 (朋也の場合は結婚指輪、有宇の場合は単語帳)
又、記憶を失う以前の彼らも共通点があります。
「
智代アフター」は智代の回想する朋也視点のため非常に格好良いのですが、
本来、彼は弱い人物です。
別の物語になりますが、人生において最大の困難から目を背け逃げ出してしまう人物でした。
その困難から立ち直るのには長い年月を必要としました。
有宇も同様に強い人ではありません。
人生において最大の困難、歩未の死に直面した時の彼の姿は印象的です。
彼が立ち直るには、不器用で献身的な少女の力を必要でした。
そう、
朋也と有宇はヒーローではない弱い人間です。
愛する人に依存せずにはいられない弱さを持ってました。
とはいえ、彼らの弱さは非常に人間的です。
彼らの弱さを詰り、糾弾できる人間よりは
私は弱い彼らに共感を覚えます。
③ 最終話の後、乙坂有宇は死ぬ!?やっとここまで辿りつきました。長かった。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
お疲れ様です。
最終話の後、乙坂有宇は死ぬのか?という疑問。
「
智代アフター」を体験している人はその事に思いを巡らせずにはいられないでしょう。
ここまで長々と述べてきたように、
「
智代アフター」と「
Charlotte」は少なくない共通点を有します。
さて、もったいぶるのも何ですので結論から言います。
最終話の後、乙坂有宇は
乙坂有宇は死にます・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
「死ぬ・・・・・・!
死ぬが・・・・・・今回 まだその時の指定まではしていない
そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい
つまり・・・・乙坂有宇が死ぬのは70年80年後ということも可能だろう・・・・・・・・・・
ということ・・・・!」身もフタもないですが、死にます。
総括①でも記述したように、麻枝准は永遠を否定します。
ですから、いつまでも幸せに暮らす等ということはありえません。
永遠に幸せに暮らすという事はむしろその方が空恐ろしい。
悪意を感じるほどに。
人は生き物である以上、死にます。
どんなに優れた人でも、どんなに卑小な人でも、死は平等に訪れます。
では、いつ死ぬのか?
もちろん、そんな事はわかりません。
でも、そうですね、麻枝准はヒントを出してくれていると思います。
この記事の頭で記した、「
Charlotte」のラストシーンにそれはあります。
以下、奈緒と有宇のセリフのみを抽出します。
・
・
奈緒 「ずっと撮りたくないものばかり撮ってきたビデオカメラですが、
これからはみんなを撮り続けます
幸せな日常をたっくさん撮っていきます
なので幸せな思い出をたっくさん残していきましょう」
有宇 「なんて言えばいいのかな…」
有宇 「これからが楽しみだ」
奈緒 「これからは楽しいことだらけの人生にしていきましょう!」
・
・
「
撮りたくないものばかり撮ってきたビデオカメラ」
奈緒はそう言います。
そして、それは彼女の人生も同様なのではないでしょうか。
彼女のこれまでの人生は楽しくない事、辛い事ばっかりだったのではないでしょうか。
母親に捨てられ、兄一希は廃人、学校では暴力と悪意に晒され、
恋をした相手は長い間、旅をして、ボロボロになってやっとの事で帰ってくる。
帰ったきたと思えば、記憶喪失になり、自分の事を覚えていない。
羅列していて悲惨すぎるな、と思うほどです。
奈緒の人生は辛い出来事ばかりでした。
麻枝准の定義する「
人生の宝物」には確かに辛い出来事、悲しい出来事も含まれているのでしょう。
でも、やはり人生は辛いだけではないのです。
楽しい事、幸せな事もあるはずです。あるべきなのです。これまで、辛い人生を送ってきた奈緒は、
幸せに。これまでの辛い出来事の帳尻をあわすくらいには幸せになる。
私は、麻枝准がそのように意図してラストシーンを描いたと信じています。
■中締め
「
Charlotte」の感想記事でありながら、ほとんど別作品の話ばかりでしたね。
反省しています。
しかし、それだけ私にとって「
智代アフター」は衝撃的な作品でした。
同等の衝撃を受ける作品に出会うのに、10年を必要としましたから、大変な物です。
この記事をここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
心の底から感謝しています。
プレイしながら文章を起こしているとはいえ、作中の文章のミスなどもあるかと思います。
又、この作品に関してはかつて多くの方々の意見、論を目にしています。
そういった方々の意見を色々吸い上げた結果が、この記事になりますので、
自分でも意識せずに、ご意見を盗用しているなどもあるやもしれません。
悪意がなければ何でも許されるのか、などとは思ってはいませんが、
決して害意や悪意はありません。
総括③に続きます。
スポンサーサイト
(02/01)
希美推し(01/05)
Mharayaruo(08/16)
人間力(08/15)
Mharayaruo(08/12)
Yakiniku(08/11)
Mharayaruo(07/03)